人間として成長できた男鹿に運命を感じる
プロフィール
男鹿市地域おこし協力隊 佐々木里保さん(活動期間:2020年10月〜)
○所属:男鹿市企画政策課
○活動内容 :移住定住サポート、SNS等を利用した情報発信
○出身地:東京都練馬区
―都会での働き方に疲れたことが移住のきっかけ―
東京でアパレル関係の仕事をしていた佐々木 里保さん。長時間労働で21時、22時まで働くのは当たり前。ご主人も終電で帰宅する日々。夫婦で疲弊していたといいます。
「デザイナーとして転職は何度かしましたが、同じ業界内だと体質はどこも変わらなかったです。洋服が売れない時代に大量に作り、大量に捨てる。売れないことでプレッシャーをかけられる。デザイナーになるという夢は叶ったけれど、これが本当に自分のやりたかったことなのか?幸せじゃない暮らし方を変えたいな、と感じていました。」
早く東京から逃げ出したいと思っていたという佐々木さん。そんなとき、男鹿にある夫の実家の米農家で、稲刈りの手伝いをする機会があったという。
「朝、化粧をしないまま、田んぼに行けばいい。人目も気にしなくていい。満員電車に乗らなくていい。この環境に解放感を感じました。」
―すぐに「やりたい!」と決意した協力隊の仕事―
この体験がきっかけとなり、移住を決めた佐々木さん。Aターンサポートセンターに相談しにいった。
「男鹿の協力隊の仕事があることを知ってすぐに決めました。求人は色々みていたので、男鹿にどんな仕事があるかは知ってたけど、協力隊の活動内容をきいて面白そうだ!絶対これになりたい!と思いました。」
現在は、協力隊として、男鹿の情報発信、移住定住促進の活動をメインとしている。
「市のホームページにある移住情報をSNSでわかりやすく発信したり、移住当事者目線で男鹿での暮らしを発信しています。」
移住ポータルサイトは別の協力隊が担当で内容構築をしているが、佐々木さんのSNS発信もあって移住の問い合わせは上昇傾向。3年前はほとんどなかったが、現在は月2件ほど来ている。
SNS発信により、男鹿出身者から「男鹿の変化が分かってうれしい」「魅力が伝わってくる」「毎回楽しみだし、応援してる!」との声をもらったり、20代前半の若者から「男鹿に戻りたくなった」という声が届いているという。
「今は男鹿で暮らしていない人等とも、「男鹿」という共通点でコメントのやりとりをしたり、いろんな人たちと繋がれている。そういうアカウントが作れている、という実感が持てています。」
他にも前職の経験を活かし、チラシや名刺作成など、デザイン業務にも携わっている。「移住フェアで配るポーチ、バックなどのノベルティを作ったり、イラストを書いたり、市の広報誌のレイアウト業務、子育て支援のPR動画や広報をしたり、他にもスマホ教室の先生、ラジオのコメンテーターもやっています。」
移住して4年目。途中1年間の育休を経て、協力隊の活動は3年目となる。
―移住当初はかなり苦労した―
男鹿に来た当初はすべてが大変だったという佐々木さん。
「働き方に関しては、望んでいたとおり随分改善されたのですが、それ以外の部分で苦労がありました。移住するために免許を取得したばかりで、1年に3回も事故を起こしてしまったし、地元の人たちの言葉が怒っているように聞こえてしまい、腹が立ってしまうこともありました。自分が今までいた世界とは、時代が30年前くらいで止まっているように感じてしまって。漁師さんや農家さんとのコミュニケーションの取り方もわからなくて。文化の違いに悩み、最初の1年は結構しんどかったです。」
ただ、妊娠・出産をきっかけにその考え方は変わっていったという。
「子育てをすることで、地域とぐっと近くなりました。母親になったことで、接し方がわからなかった地域の方々へのリスペクトが生まれて、助けてもらう経験により、本当に感謝の気持ちが生まれてきました。また、東京だとベビーカーは誰も見向きもしないけれど、男鹿では買い物中でも「宝」扱いをしてもらえる。誰も知らないはずの自分に「めんけーな!がんばれよ」と声をかけてくれる人がいる。産後のお母さんは精神的にも不安定なので、自分は一人じゃないという温かさを感じることができて、この地域で子育てできて本当によかった!と感じるようになりました」
最初は戸惑った地域の人たちとのコミュニケーションが、子育てによって安心感のあるものに変わったといいます。
―違う文化を受け入れようとしていなかった自分に気付く―
例えば人を呼ぶのに「おめえ」という言葉を使ったりすること。プライバシーがなく、ずけずけと言ってくると感じられるコミュニケーション。そういったことを「配慮がない」と感じて苦しかった1年目。「時代が止まっている」「男尊女卑だ」という感覚で受け止め、モヤモヤしていたといいます。
「子育てをするようになって、そのコミュニケーションの違いは、どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、ただただ「違う」それだけのこと、ということに気がつきました。
言われ方が嫌だったのも、伝え方ひとつだし。もしかしたら自分は東京文化を押しつけるような態度をとっていたんじゃないか、と感じるようにもなりました。まずはこの町の文化を受け入れないとだめだ、まず自分から受け入れよう。」
このような考え方へと変わっていったそうです。
「娘が私を地域になじませてくれた。自分が未熟だったと気づかされました。」
家に野菜を持って来てくれたりと、前は遠ざけていたプライバシーのないコミュニケーションが助けに感じるようになった。相談に乗ってもらうこともあるという。
「以前は見慣れない人がいたときに、すごく見てくるので気持ち悪いな・・と思っていたのに、今は逆に自分が見る側。だから、地域の人たちの気持ちがわかったんです。いい意味でも、この地域で知っている人たちに囲まれている安心感に埋もれている証拠。安心感がすごいんです!みんな知ってる人。いい意味で、自分も田舎者になったかな(笑)」
―協力隊に興味がある人へのメッセージ―
私が移住するときの判断は「人とのつながり」でした。都心での移住イベントで現地の人と会って話したり、情報収集をすることは大事だと思います。自分が生活するイメージをあらゆる面から見にいくことも大切かな。つながりをもつこと。Uターンの人なら、雰囲気をわかってるだろうし、I/Jターンの人は、自分が求める移住先なのか、自分の求めるミッション内容なのか、納得いくまで調べるといいと思います。
2024年1月11日インタビュー実施。
この記事に関するお問い合わせ
- 秋田県 あきた未来創造部移住・定住促進課
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